都市伝説!世界一呪われた家 ウィンチェスターハウスとは・・・
けんちゃん
今回ご紹介するのは
「ウィンチェスターハウス アメリカで最も呪われた屋敷」
という映画の題材にもなった実話です。
闇病み子
けんちゃん
正式には「ウィンチェスター・ミステリー・ハウス」
と呼ばれるその屋敷は、
アメリカ・カリフォルニア州サンノゼに現在も実在する屋敷です。
動画で見る↓
ウィンチェスターハウスの歴史
オカルトファンならその名前を一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
「ウィンチェスター」という言葉を聞いて“ウィンチェスター銃”もしくは“ウィンチェスター・ライフル”といった銃を思い浮かべる人も多いかもしれませんね。
ウィンチェスター社はアメリカの西部開拓時代、 “西部を征服した銃”と称される銃器の開発で有名になった企業です。
オリバー・ウィンチェスターが、ウィンチェスター・ライフルを開発しウィンチェスター社を創業したのは、西部開拓時代まっただ中の1866年のことでした。
世界中の戦争や紛争で大ヒットしたウィンチェスター・ライフルのおかげで、ウィンチェスター家は巨万の富を築き、大富豪の仲間入りを果たしました。
ところが、オリバー・ウィンチェスターの息子、ウィリアムと妻サラの代になり、突如不幸が訪れます。
1866年に娘のアニーが生後1ヶ月で亡くなるなと
1880年に1代目であるオリバー、1881年に2代目ウィリアムが相次いで死亡。
たったひとり残されたサラは、孤独と喪失感に苛まれるようになり、そこで助言を求めたのがひとりの霊媒師でした。
この霊媒師はサラに、
「一家の不幸はウィンチェスター銃でこれまで命を奪われてきた人々の呪いのせいだ」と告げます。
そして西へ向かい、これまで亡くなった人々の霊魂を鎮めるため、家を建て続けるようにと助言します。
これを真に受けたサラは、コネチカット州からカリフォルニア州に引っ越し、家の建設を開始しました。
夫の遺産と、日々転がり込む会社の一部の収益を惜しむことなく投じ、その屋敷を増築しはじめた1884年から、彼女が亡くなる1922年までの38年間365日24時間、22人の職人によって絶えず休まず、屋敷は拡張し続けました。
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンノゼはサウス・ウィンチェスター通りあるその家の総面積は24,000平方メートル、建物面積:72,000坪、7階建てで、
なんと東京ドーム2つ分にも及ぶ面積を誇っているのです。
部屋の総数も160、寝室は40部屋にも及ぶ桁違いの広さなのです。
(ここはTEでわかりやすく
舞踏室:2、寝室:40、浴室:13、金庫室:6、地下室:2)
これらの部屋や設備だけでも圧巻なんですが、
この屋敷には部屋や設備の数だけでなく、いくつものユニークなギミックがあるのです。
・天井に突き当たる階段
・天井にある手すり
・床に設置された窓
・開けたら壁のドア
・2階に設置された開けた先に足場のない即、外のドア
サラの異常なこだわりとは・・・
また、サラは“13”という数字に異常なこだわりを持っていて
・クローゼットのフックの数が13、またはその倍数
・階段の段数が13
・シャンデリアのライト数が13
と屋敷に取り入れています。
この奇妙な家は屋敷の奥に作られた「降霊室」と呼ばれる部屋で、霊と相談しながら、サラ自身が設計をしました。
そもそもなんでこんな意味不明な構造をしているのでしょうか。
それは・・・もうどんな部屋のどの場所居ても亡霊から逃げられるように、とサラが常に何者かに怯えていたからなんです。
実際にウィンチェスターハウスでは奇妙な現象が多発していたのです。
なんと屋敷の中では方位磁石が狂ったり、ボールがひとりでに転がったり、ラジオが勝手に鳴りだしたり。
などのいわゆるポルターガイスト現象が頻繁に起こっていました。
「ウィンチェスターハウス アメリカで最も呪われた屋敷」では
実際のウィンチェスターハウスを使用して撮影を行っているシーンがあるのですが、その撮影の最中には撮影スタッフからの幽霊の目撃情報も絶えなかったと言います。
現在は観光名所となっており、実は、ディズニーランドのホーンテッドマンションのモデルにもなったのはこの家だと言われています。
最盛期は650,00平方メートルの敷地・7階建てだった建物も、今は24,000平方メートル・4階建てに縮小されています。
果たして呪いは本当に存在したのでしょうか。
ウィンチェスターハウスを動画で見る↓
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