意味が分かると怖い写真【都市伝説】

意味が分かると怖い写真【都市伝説】

けんちゃん

今回は、意味がわかると怖い写真シリーズ第3弾です!
やだ〜、私この企画苦手なのよ…。

闇病み子

けんちゃん

以前は「トラジャ族」とか
「ハゲワシと少女」の写真を紹介したんですけれども、
写真の背景を知れば知るほど、色々と考えさせられますよね。

けんちゃん

今回は、科学の発展にまつわる意味がわかると怖い写真を
3枚ご紹介して行きたいと思います。

けんちゃん

現代では、当たり前のように利用されている様々の技術の誕生には、
数多くの出来事が絡んでいます。
これらの瞬間を捉えた写真から見える、衝撃の事実とは…?
写真が物語る、人類の歩んできた技術発展の歴史。
その裏に隠された、我々の知り得ない、衝撃の意味とは。

動画で観る場合はコチラ↓

バカンティマウス〜意味が分かると怖い写真〜




1枚目はこちら。

バカンティマウス

バカンティマウス

異様な姿をしたこのネズミは「バカンティマウス」と呼ばれるのですが、
このネズミがこのような姿になった背景には、ある男の思いがありました

バカンティマウスを生み出したの
アメリカ・マサチューセッツ大学医学部の教授で麻酔科医の
チャールズ・バカンティです。

彼は、生体組織工学の分野で多くの特許を持ち、胞子様細胞や
日本でも話題となったSTAP細胞の提唱者であり、
ハーバード大学に留学していた小保方晴子氏に、
STAP細胞の研究テーマを与えた事でも知られる、
細胞研究界の権威とも言える人物です。

そして、チャールズが現在の地位に辿り着くまでの背景には、
この「バカンティマウス」の誕生が大きく関わっているのです。

チャールズが、細胞の研究に没頭するキッカケとなったのは、
兄で外科医のジョセフ・バカンティでした。
臨床医師だったチャールズは、1988年に兄・ジョセフの研究グループに
参加し、細胞培養の技術研究に打ち込みました。
そして、研究に研究を重ねた結果、臓器の細胞を採取し人工的に
特殊培養して自由に成形する技術を形にする事が出来たのです。

研究成果に自信を持ったチャールズは、この革新的な技術を学会で
発表したのですが、残念ながら、本人の期待とは裏腹に、
この研究成果はあまり注目を集める事が出来なかったのです。

この結果に落胆したチャールズは、世間の注目を集めるために、
様々な試行錯誤を繰り返しました。
世間の注目を集めるために、たどり着いた答え。
そう、それが…「ネズミの背中で人間の耳を培養する事」でした。

そして1995年、生きたネズミの背中で人間の耳のような軟骨細胞を
培養する実験を行ったのです。
実際には、この背中の耳は、生分解性の金型に牛の軟骨細胞を入れて
人間の耳の形に成形した軟骨を作り、それをマウスの皮膚下に移植した
ものでしたが、そのインパクトの強いビジュアルからメディアの注目を
続々と集め、細胞研究の宣伝に大いに貢献したのでした。

チャールズ・バカンティは、「バカンティマウス」の実験を通じて、
有名になり、細胞研究界において先駆者と
呼ばれるようになったのです。

背中に耳をつけられちゃったネズミちゃんはかわいそうだけれども、
結果的に言うと、メディアが耳を傾けてくれるようになったって事よね!

闇病み子

けんちゃん

なんか、上手いこと言うのにハマってるんですか?
最近、ねずっちさんにハマってるの

闇病み子

けんちゃん

遅えわ!

確かに、このような細胞研究の成果は現代の医学に多くの恩恵を
もたらしてはくれましたが、
この当時、バカンティマウスの写真が世間に出回ると、
動物の生命を軽視しているのでは無いか?と遺伝子工学への
抗議活動にも発展してしまったんです。
技術革新には多くの摩擦も付いてくるってことですね。

未来に賭けた男〜意味が分かると怖い写真〜

2枚目の写真はこちら

ジェームズ・ハイラム・ベッドフォード

ジェームズ・ハイラム・ベッドフォード

何やら、白く大きな物体に何かの細工を仕掛けている人たちの様子。
彼らは、氷、ドライアイス、液体窒素などを駆使して、
この白いカプセル状の物体を冷やしている所なのですが、
目的が想像つかないですよね?

実は、この白い物体の中身、それは…人の遺体なんです。
この写真は、世界で初めて人の遺体の冷凍保存を試みている最中の
歴史的な一枚で、現代の冷凍保存技術に繋がる大きな一歩なのですが、
その時の様子とは?そして、これを試みた中身の人物とは?

人体の冷凍保存を世界で初めて試みたのは、
アメリカ・カリフォルニア大学の心理学教授だった
ジェームズ・ハイラム・ベッドフォードでした。



当時、彼は腎臓がんを患っており、そのがんは肺にまで転移し、
自身の死が近いことを悟ると、彼は、前代未聞の指示を出しました。
それは…
自分の遺体を冷凍保存し、将来、死者を蘇生できるような技術が
登場したときに復活させて欲しいというもの。

そして、1967年1月12日。
彼は、自身の遺産から10万ドルを冷凍保存の費用にあてるように
遺言を残してこの世を去りました。

彼が亡くなると、たちまち周りは大慌て。
これまで小さな組織や精子・卵子のような細胞なら冷凍保存されることも
ありましたが、遺体まるごとの冷凍保存は前代未聞だったからです。

それからの出来事については、あるレポーターが
「数週間オープンが早まってしまったローカル劇場のどたばた」
のようだったと伝えています。

看護師たちは、様々な所から氷をかき集めてきたり、
その間、脳のダメージを最低限に抑えるために肺に酸素が送られたりしました。
また、 専門家チームが到着すると、まず体内から血液を抜き、
代わりに医療用不凍液を血管に流し込みました。
これは、体内に血液を残した状態で冷凍してしまうと、
凍結時に血液が膨張して細胞を傷つけてしまうからです。

その後、遺体はドライアイスでマイナス79度に保たれたカプセルに
入れられ、さらに、そのカプセルは生体変化が完全に停止するといわれる
マイナス196度の液体窒素の中に沈められるという、2重構造で冷凍保存
されました。

それから2年間、ベッドフォード博士の遺体はアリゾナ州フェニックスの
施設で保管され、その後2回の移送をされた末、
現在は、アルコー延命財団の一室で冷凍されたまま復活する日を
今も待ち続けているのです。

けんちゃん
現在、世界には約350体の遺体が冷凍保存されており、
今もその技術は向上し続けています。
ベッドフォード博士の奇想天外な挑戦に、
当時、周りは困惑してしまいましたが、この挑戦がキッカケで
現代の不治の病におかされた人達にとっては、
冷凍保存という選択肢が与えられる事に繋がったのです。

親友の為に命を捨てた男〜意味が分かると怖い写真〜

最後の写真がこちら。

コマロフ

コマロフ

黒く焦げた何かを見つめる複数の男たちの写真。
悲しげにも見える表情を浮かべる彼らは、一体何を思っているのか?

時は1960年代前後、2つの大国、ソ連とアメリカは宇宙開発競争を
舞台に対立していました。
ソ連は、世界で最初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げ、
アメリカに先行したのですが、
アメリカも人工衛星エクスプローラー1号やヴァンガード1号の投入に
成功するなど、宇宙開発を強力に推し進めており、
ソ連は、それに対抗し得る何らかの成果を必要としていました。

その後、ソ連が有人宇宙船「ボストーク1号」の打ち上げに成功し、
ガガーリンが世界初の宇宙飛行士となると、
アメリカも「フリーダム7号」を打ち上げ、自国初の有人弾道飛行に
成功しました。
アメリカもソ連もお互いに有人宇宙飛行成功を繰り返していき、
宇宙開発の対立はさらに激しさを増していました。

そんな情勢の最中、開発された新たな宇宙船が「ソユーズ1号」でした。
完成と打ち上げが発表された1967年の時点では、
この宇宙船はまだまだ準備が完全にはできていなかったのですが、
ソ連指導部は早急に作戦の成功を収めたいと考え、
打ち上げ時期を待つことを望まなかったのです。

そこで次のような計画が立てられました。
同年4月に最初のソユーズ1号を打ち上げるだけでなく、
その後すぐにソユーズ2号も打ち上げて、ドッキングさせる。
その後、2つの宇宙船の両クルーはソユーズ1号に移動して、
地球に帰還する。こういう計画でした。

このような流れで、ソユーズ1号は未完成だったにも関わらず、
打ち上げが決定してしまったのですが、
この搭乗員として選ばれたのは、
当時37歳の空軍大佐だったウラジーミル・コマロフでした。

彼は、ソユーズ1号が確実に打ち上げに失敗する事を
百も承知の上で、自ら搭乗員を名乗り出たのです。

なぜなら…
もし、コマロフが名乗り出なければ、搭乗員として選ばれるのは、
彼の親友であり、宇宙飛行の成功経験があるガガーリンだったからです。

コマロフのそんな思いに気づいたガガーリンは、宇宙船に不具合が多数
見られる事、打ち上げを延期するべきである事を
ソ連指導部に訴え続けましたが、聞き入れてもらえず、
1967年4月23日、ソユーズ1号はコマロフを乗せて、
宇宙へと飛び立ちました。

そして、事前の予測通り、ソユーズ1号が軌道に乗ると、
次々に問題が露呈し始めました。これを受けて、
ソユーズ2号の打ち上げは急遽キャンセルされ、
ソユーズ1号は地球に戻るように指令が出されました。

しかし、宇宙船操縦のためのシステムが次々に故障し、
手動システムに切り替えざるを得なくなったのですが、
それも一部しか作動せず、遂にはコマロフのスキルだけが頼りという
状態に陥ってしまったのです。

そんな状況下でも、彼は正しい軌道で降下し始めることができたので、
誰もが最悪の事態は去ったと思い安心したのですが、
最後の最後、地上着陸時の減速用のメインパラシュートが開かず、
コマロフを乗せたソユーズ1号は地面と激突…。
彼は有人宇宙飛行の歴史における、最初の犠牲者となってしまいました。

打上げの数週間前、コマロフはこのように述べたと言われています。
「もし自分がこの飛行に乗らなければ、彼ら(ソ連指導部)は代わりに
予備乗員を乗せるだろう。そうなればユーリイ(ガガーリン)が
自分の代わりに死ぬことになる」と。

けんちゃん

そう、この写真は、親友の為、死ぬと分かっていながら宇宙へ飛び立った
コマロフの棺を見つめるソ連将校たちを写した一枚だったのです。
親友の為に命を捨てるって、すごく熱い友情だけど、
失敗することが分かってて計画を実行したソ連は許せないわ。

闇病み子

けんちゃん

この2年後、1969年7月20日にアポロ11号が人類初の月面着陸に
成功したり、最近では前澤友作さんが月への旅行を決めたりと、
宇宙開発に関しての話題は明るいものが表面化されがちですが、
その裏にはこの様な犠牲も多く発生している事を忘れてはいけませんね。

けんちゃん

やみこさんいかがでしたでしょうか?
バカンティマウスとかパッと見気持ち悪かったけれども、
今の技術に繋がっている事を考えると大切な瞬間なのよね。

闇病み子

けんちゃん

たまに真面目やな
私の耳をねずみで培養したら化け物産まれそうね・・・

闇病み子

けんちゃん

だろうな!

動画で観る場合はコチラ↓

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です