【都市伝説】タイの猟奇的事件~メイ・チャモイティピヤソ&シリラート博物館~

 

けんちゃん

あるごめとりいのけんちゃんです。

本日もダークネス星から闇病み子さんにお越しいただいております。

はい、どーも、やみ、やみこでーーーーーす。

闇病み子

けんちゃん

今回はなんとタイにまつわる都市伝説をご紹介します!

ついに海外ネタ!

過去にタイで起こった猟奇的な事件をご紹介していきたいと思います。

動画での解説をみたい人はこちらから↓

まずはじめにご紹介するのがタイ最大の詐欺事件です。

この事件は1973年のタイにさかのぼります。

メイ・チャモイ・ティピヤソというタイ王国空軍上級将校の妻である女性がいました。

1973年、ティピヤソは「Mae Chamoy Fund」を設立したのですが、実はこのファンドは実態がないピラミッド方式 (ねずみ講) で運営される詐欺の投資ファンドでした。

しかし、ティピヤソは空軍との繋がりを持っており、傍目からは軍の支援を受けているように見えた為、正当性のある安心出来る投資ファンドとして多くの投資家がこぞって参加したんです。

それは実に1万8000人に及び、ティピヤソは2億2000万ユーロ (日本円で約300億円) を騙し取りました。

 

けんちゃん

ですが、あまりの莫大な金額によりファンドがタイ銀行の業務に対して脅威となった時、ついにタイ政府がファンドに対して介入を行います。

これによりファンドは閉鎖され、ティピヤソと共犯者の7人が逮捕されました。

ただ、ティピヤソは上級将校の妻であり、空軍とも関係を持っていた為、事件は数日間秘密にされたんです。

そして、関係する軍隊や王室の損失が回復するまでティピヤソの裁判は行われなかったんです。

1989年7月27日、ティピヤソは企業詐欺で懲役付きの実刑判決が下されたんですが

その懲役がなんと・・・

14万1078年!

だが、タイの法律では詐欺行為の最高刑は20年であり、その為、結局ティピヤソは約8年間しか刑期を務めなかったんです。

そしてティピヤソに下された懲役の長さはギネス登録されているんです。

けんちゃん

続いてもタイで起こった猟奇的な事件なんですが、

その実行犯の名前はシーウィー。

元々中国で生まれ育ちその後タイに移住しました。

シーウィーは12人兄弟であり、生まれつき精神に障害を持っていたシーウィーを両親はまともに育てる事はありませんでした。

シーウィーは病弱だった為、よくいじめられていました。



そんなシーウィーをみかねた村の老人が、

「人の心臓と肝臓を食べなさい。そうすれば強くなれる」

とアドバイスを与えたんです。

この言葉に衝撃を受けたシーウィーは、その後、その老人の言葉を信じ、何とか心臓と肝臓を手に入れようとしますが、人間のは手に入れる事が出来ず、まずは動物を殺してその内臓を食べるようになったんです。

シーウィーが18歳の時、『第二次世界大戦』が勃発しました。

シーウィーは陸軍の兵士としてビルマ (現ミャンマー) に従軍したのですが、戦場で砲弾を受けたのに加えて、寒さと飢えに苦しみ、精神的に追い詰められていきました。

そんな中シーウィーは

村の老人の

「人の心臓と肝臓を食べなさい。そうすれば強くなれる」

とアドバイスを思い出しました。

そして、シーウィーは戦場で死んだ仲間の内臓をナイフで切り取り、それを煮て食べたんです。

この時、初めてシーウィーは人間の内臓を食べる事が出来ました。

戦争終結後、親類を頼ってタイへ移住し、港湾労働者として働き始めたんです。

しかし、仕事は予想以上にたいへんで、しかも、言葉も通じない為、精神的に追い込まれていったシーウィーは、体調を崩してしまいました。

そして、シーウィーは再び老人の言葉を思い出します。

自身の弱さを克服する為に人間の内臓を食べなければいけないと自分に言い聞かせます。

シーウィーは内臓を食べる為、ついに殺人を始めました。

1954年4月、市場を歩いていた8歳の女の子を連れ去ると、手で顔を押さえつけ、窒息死させました。

しかし、この女の子の内臓は食べる事が出来ず、死体を入り江近くに遺棄しました。

同年5月初め、街中で開催されていた結婚式に参列し、退屈そうにしていた11歳の少女を連れ去り、同じく手で口や鼻を押さえて窒息死させました。

そして、少女の死体をナイフで切り開き、肝臓を煮て食べました。

肝臓を食べたシーウィーは、体中に力がみなぎってくるのを感じました。

1955年には4歳の少女、7歳の少女、10歳の少女

をそれぞれ連れ去り殺害後に同様に内臓を取り出し食べました。

翌年の1956年2月、シーウィーは5歳の少女を襲い殺害して内臓を食べたが、犯行現場に殺害に使用したナイフと懐中電灯を忘れてしまい、警察はそれを元に捜査を進めました。

しかし、シーウィーではなく別の人間を逮捕してしまいました。

同年4月、シーウィーは顔見知りの少年を殺した事でついにシーウィーにも捜査の手が及び逮捕されたました。

裁判でシーウィーには死刑が言い渡され、あまりに残酷で残忍な犯行に、判決書に

「処刑後も供養する価値はない」

とわざわざ但し書きされたほどでした。



1959年9月16日、シーウィーには銃殺による死刑が執行されました。

死刑執行後、シーウィーの死体は蝋で固められ、ミイラにされました。

そして、なんと現在もそのシーウィーの死体の姿を見る事が出来るんです!

実はタイのバンコク市内にあるシリラート病院の博物館に晒され続けています。

 

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