1893年、全米を揺るがせる絶対に生きて出られないホテルがオープンした。
そのホテルの支配人ヘンリー・ハワード・ホームズは
自身のホテルの宿泊客の部屋を改造。
寝ている宿泊客の部屋の床が突如開き突き落とされた地下の部屋にあったのは大量の拷問器具だった…
けんちゃん
闇病み子
けんちゃん
1800年代後半のアメリカに実在した、宿泊すれば生きて出られないといわれた恐怖の殺人ホテルとその首謀者について紹介したいと思います!
一度入ったら出られない恐怖の殺人ホテルの支配人ヘンリー・ハワード・ホームズ
アメリカ史上初のシリアルキラーの驚愕の手口とは…
ホームズの生い立ち【都市伝説】
1861年5月16日、後のヘンリー・ハワード・ホームズは、ハーマン・ウェブスター・マジェットとしてニューハンプシャー州で誕生しました。
農業で子供たちを養うハーマンの両親は、敬虔なメソジストでした。
メソジストとはキリスト教の宗派のひとつで、規則正しい生活を美徳とするのが特徴です。しかし、信仰に反してハーマンの父はアルコール依存症であり、酒に飲まれ、頻繁に家族へ暴力を振るっていました。
幼いハーマンの悩みはドメスティック・バイオレンスだけではありませんでした。周りの子供たちよりも、ずば抜けて頭が良かったため、通っていた学校では学友たちから妬まれて壮絶なイジメを受けていたんです。
肉体的にも精神的にも逃げ場のない生き地獄の中で、後の彼の人生を大きく左右するある出来事が起きます。
ある日、イジメっ子たちはハーマンを連れて、人気のない地元の病院へ忍び込みました。小心者のハーマンが怖がるところを見て、楽しもうとしたのでした。
彼は病院内にあった人体の骨格模型と対面させられ、骨の手を顔面に乗せられました。
のちにハーマンはこのときに感じたことをこう語っています。
「最初はとても怖かった。だけど、しばらくすると自分が人骨に興奮している事に気付いたんだ」
この体験がきっかけとなり、ハーマンは「死」について興味を覚えました。
そして、小心者のイジメられっ子は、人知れず動物の解剖を行うようになり、屈折した欲求を満たしていったのでした。
けんちゃん
狂気に目覚めるハーマン
1877年、16歳で高校を卒業すると同時に教師として働き始めたハーマンは、親元を離れて自由になると、17歳の時にクララという女性と結婚します。
その後、息子のロバートも誕生し、幸せな結婚生活を送っていました。
やがて、ハーマンは教師の職を辞めて21歳でミシガン大学の医学部へ進学して、1884年には医師免許を取得します
その頃のハーマンは医学部の研究室に提供されてきた遺体を密かに傷付けてはその行為を楽しんでいたそうです。
研究室から盗んだ遺体は彼の手で解体されたり、火を付けて燃やされたりしました。
また、盗んだ遺体を使って偽装保険金請求まで行っていました。
この手口に騙された保険会社は複数存在していたといわれています。
学歴と資格を得たハーマンでしたが、卒業する頃には結婚生活は冷えきっていました。
家に寄り付かなくなったハーマンは、やがて妻と息子を見捨て、各地を転々としながら、犯罪に手を染めていくこととなります。
クララの元を去った後もハーマンは、再婚と離婚を繰り返しています。
周囲の評判では「ハーマンは魅力的な男性であり、若い女性を誘惑する才能に長けていた」といわれています。
ところがハーマンに魅了された若い女性たちは、最終的にはいつも不可解な状況下で失踪してしまうのでした。
ハーマンがニューヨークへ移り住んでいた時のこと、彼の下宿先の近くで少年が失踪する事件が起こりました。
近所の住民は、少年が姿を見せなくなる前に、ハーマンが少年と行動を共にする姿を見かけていました。
住民たちから事情を聞かれたハーマンは、「あの少年はマサチューセッツ州の自宅に戻ったんだよ」と、少年失踪への関与を否定していましたが、その直後に彼はニューヨークを後にしています。
また、フィラデルフィアに移り住み薬局で働いてた際には、彼が働いている間に、少年がこの薬局で購入した薬物で中毒死するという事件がありました。彼は、子どもの死に関与していないと否定したのですが、またしても即座に町を離れています。
そのほか各地で結婚詐欺や保険金詐欺を働いていたハーマンはシカゴへと移住すると、名前をヘンリー・ハワード・ホームズに改名します。
闇病み子
けんちゃん
闇病み子
けんちゃん
けんちゃん
シカゴに来たハーマンことヘンリー・ハワード・ホームズは、ここから悪名高き殺人ホテルを作りはじめます。
殺人ホテルの誕生
シカゴに移住したホームズは、エリザベス・S・ホルトンという老婦人が経営する薬局で雇われ、働き始めます。
熱心に働き、エリザベス婦人から信頼を得ていたホームズは、婦人の夫が死去すると、「この薬局を買い取りたい」と話を持ちかけます。
これに婦人は同意し、ローンで店舗の購入代金を返済していく契約を結びます。
こうしてホームズは自分の薬局を手に入れたのですが、しばらくすると、エリザベスは姿を見せなくなってしまいます。
ある常連客が、ホームズに彼女のことを尋ねると
「親族のいるカリフォルニアへ移り住んだ」と答えました。
それは明らかに不審な失踪でしたが、当時は事件として捜査されることもありませんでした。
薬局のオーナーとなってから程なく、ホームズは通りの向かいに、巨大な3階建てビルを建設しました。
それは地元住民から『ホームズ城』と呼ばれるほど豪華なものでした。
完成すると、「ワールズ・フェアー・ホテル」と名付けられ、1893年に開催されたシカゴ万博の来場者向けの宿としてオープンします。
このシカゴ万博には2700万人もの来場者が訪れ、ホテルは遠方からの宿泊客でたいへん繁盛していました。
しかし、部屋数が100を超える巨大ホテルの構造は通常のものとは異なっていました。
全ての部屋が迷路のような秘密の通路で繋がっていて、覗き穴はもちろんスライドする扉も壁に仕掛けられていました。
内側からは開けることのできないドア、行き止まりの階段など、まるで迷い込んだものを飲み込んでしまうモンスターハウスのような作りとなっていました。
密閉してガスを送り込み殺害できる部屋や、石綿で覆われていてその中で被害者に火を点けて焼き殺せるようになっている部屋、床が落とし穴になっており地下室に落下するように設計された部屋があり、その地下室には拷問器具と外科手術用具が山のように置いてあったと言います。
けんちゃん
そう、このホテルは、彼が長年溜め込んでいた歪んだ欲求を吐き出すための場所だったのです。
このホテルを建設するにあたって、ホームズは建設業者に対して、「怠けていて全然仕事をしていなかった」などと難癖をつけては解雇し、新たな業者を雇い、再び解雇していました。
そうすることで、ホームズは建設費用を次々と踏み倒し、タダ同然でホテルを手に入れることに成功しました。
また、これにはもうひとつ理由があり、自分以外にホテルの全体像を知られたくなかったのです。
完成した「ワールズ・フェアー・ホテル」の全貌を把握しているのはホームズただひとりでした。
闇病み子
けんちゃん
「チェックメイトの時間です」って言われたの
闇病み子
けんちゃん
チェックアウトなそれ!
けんちゃん
ホテルで繰り返される狂気
ワールズ・フェアー・ホテルのオープン後まもなく、シカゴ万博が開催され、ホテルはたいへん繁盛していました。
ホームズは、毎日満員のホテルの宿泊客の中から、獲物を入念に選別しました。
彼が狙ったのは、金があり、美人で、遠方からの一人旅の客である女性でした。
ひとたび被害女性がホームズの罠にかかると、逃れようがありませんでした。
たいていの場合、女性たちは何の手がかりも残さずに姿を消してしまい、失踪女性たちの辿った運命は長らく明らかになることはありませんでした。
ホームズは女性を拷問部屋に連れて行き、残虐な拷問に及びました。
さらにホームズはガス室まで造り、若い女性が窒息状態で悶え苦しむみ、ゆっくりと苦痛の中で死んでいく様子を壁の穴から見ては悦に浸っていました。
また、ある被害者は、ホテルの2階にあった、通称「首吊り」部屋に連れて行かれ、ホームズの手によって命を奪われました。
ホームズのオフィスには巨大な金庫があり、その中に閉じ込められ、薄れゆく酸素の中で命を引き取った被害者も居るんです。
犠牲者の中にはホームズの不倫相手だったシングルマザーも含まれていました。
元夫に不倫がバレてしまい、8歳の娘とともにホテルに移り住んだこのシングルマザーは、ホテルでのクリスマスのお祝いを楽しみにしていました。
しかしある晩、ホームズは母娘を秘密の地下室に連れて行き、二人がその後姿を見せることはありませんでした。
残虐性と高い知性を併せ持つホームズは、殺人を犯すたびに、その時の状況や被害者が苦しむ様を克明に記録していました。
この身の毛もよだつ凶悪犯罪において、医学部時代に身に着けた知識が十二分に発揮されることとなります。
いとも容易く遺体を切断し、一切の手がかりを残さず処分する方法をホームズは心得ていたのでした。
遺体は隠しエレベーターやダストシュートによって地下室へと運ばれました。
地下室に運ばれた遺体は、ホームズによって解体され、削ぎ落とされた肉塊や内臓は、高濃度の酸などで溶かされ、証拠は跡形もなく消されていました。
自分は決して捕まることはない、と過信していたホームズは、犠牲者の遺骨を標本骨格として地元の大学に売却していました。
その殺人ホテルで、なんの疑いもかけられることなく、女性達を殺害してきたホームズは、半年にわたって開催されたシカゴ万博が終了すると、あっさりとホテル経営に見切りをつけ、シカゴを離れてしまいます。
怖すぎよ…
闇病み子
けんちゃん
けんちゃん
殺人鬼ホームズの最後
シカゴを離れた彼は、アメリカ、カナダを転々としながら小さな詐欺を繰り返していましたが、殺人ホテルでの一連の犯行とは別の事件で呆気なく逮捕されてしまったんです。
長期間にわたる連続殺人を続行する一方で、ホームズは大掛かりな保険金詐欺に深く関わっていました。
あるとき、共犯者に迫られたホームズはその共犯者を殴り殺してしまいます。
殺人罪で逮捕され、詐欺行為が明らかになり、刑事訴訟裁判の証拠を集めるため、ホテルを捜索した警察がそこに隠されていた暗黒の秘密の全貌を発見したのでした。
取り調べを受けたホームズが自白した被害者の数は27人でした。
多くは彼が従業員兼愛人として雇った女性たちですが、実際に行方不明になった人数やホテルから発見された遺品から、被害者の数は200人に及ぶと推測されています。
有罪判決を受けたホームズは、1896年5月7日、絞首刑が執行されることとなりました。
最後に言い残す言葉を聞かれると、彼はこう答えたんです。こう答えました。
「ゆっくりやってくれ、ただ失敗しないでくれよ」
こうしてアメリカ史上最初のシリアルキラーは苦しむことなく35歳でこの世を去りました。
闇病み子
けんちゃん
また、主演ディカプリオ、監督マーティンスコセッシで殺人鬼ホームズの一生を実写映画化するって話もあります。
闇病み子
けんちゃん
コメントを残す